[PR] 本ブログの商品紹介リンクには広告が含まれています
あけましておめでとうございます。
なんだか
アテンション・エコノミーがリバイバルヒットしているようで、この年末年始は私の身の回りでも6年ぶりぐらいにその手の話題がいろいろ出てきました。それだけアテンション・エコノミー的経済観が違和感なく実感できる環境になってきたということなのでしょう。
となると、いつも世の中の主流よりもちょっとだけ先を追いかけていたい悲しいサガを背負った私としては、アテンション・エコノミーがフツーになったときになにを追いかけていなければいけないかをあれこれ考えるハメになります(だから万年“負け組”なんだそうです)。
お正月に、いつもより空いている星野温泉の露天風呂で素っ裸で横になっていたら、頭の中にvulnerableという単語が浮かんできました。ここ数年、IT関連の業界でvulnerableと言えば、コンピュータシステムが悪意を持った外部からの攻撃に対して弱いことを意味する単語として“脆弱な”という訳語で使われていますが、別にシステムの脆弱性の話をしようというわけではありません。そんな柄じゃないし。
私がvulnerableという単語を覚えたのは、アメリカで買ってきたフライフィッシングで使うフライ(毛針)の解説書の中でした。「カゲロウなどの水生昆虫は、さなぎまで水中で生活します。さなぎは羽化するとき水面に浮上し、水面で殻を脱いで羽を伸ばし始めます。羽が伸びるまでの間、虫は飛ぶこともできず、水に潜ることもできずに、水面からぶら下がった状態で水の流れのままに流れます。このemerging stageにある虫は完全にvulnerableなので、鱒はこれらを好んで捕食します。この状態を模したフライをemergerと言います」といったような説明だったと思います。
この時のvulnerableは“脆弱”とはちょっと違って“無防備”と言った方が近い気がします。で、温泉で思い浮かんだのは、このニュアンスのvulnerable。「素っ裸で公衆浴場に寝転がっている私は完全にvulnerableです。」
ネットの社会は物騒で、vulnerableな状態のシステムを社会に晒していると、すぐに悪い人や善意の第三者までがシステムを攻撃して来るし、脆弱なシステムを無防備に晒していて攻撃を受けるのは晒しているほうが悪いのだと非難を受けます。
それにひきかえ、リアル社会の公衆浴場は実に平和です。誰から攻撃を受けても防げない素っ裸で横になっていても、強盗やモヒカン族の襲撃を受けることは、経験上まずありません。そんなわけで、新年早々「vulnerableでいても叱られない幸せ」をかみしめ、すっかりリラックスしていたわけ。
だれもがピアとピアでつながり合い、アテンション・エコノミーがあたりまえになったとき、今度は“アテンションを恣意的に遮断することのできる自由”が欲しくなるのかもしれません。
それは例えば、本当に必要な人の間でだけしっかり狭くセキュアに情報を共有できることが保証されるシステムであったり、関係ない人からは存在すらも察知されない“秘密クラブ”のようなコミュニティであったり。
セキュリティもコミュニティもコラボレーションも、「内の人と外の人を明確に区別できる」ことや「中では無防備にしていても大丈夫」ということの価値が一般の人たちの間でもはっきり意識されるようになってくる時代に備えていくことになりそうな気がします。
kwmrさんのコメント:
あけましておめでとうございます。
裸になる自由、好いですね。
The Attention Economyの著者のインタビューの最後に同じような事が書かれていて...
「結局、アテンションを回避できる自由を手に入れることが、アテンションを捕える能力を身につける最大の効用といえます。」
http://digitalforum.accentu...
ふむふむ。