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たまにはごく私的なことを。
マイクロソフトの宮田さんと、ひさしぶりにお会いして
クローチェ・エ・デリツィアで食事をしました。
宮田さんとの出会いは、今を去ること10ン年前、私がソニーでPCのようなものやワープロ専用機の設計のような商品企画のようなことをやっていたころにさかのぼります。当時エピックソニーでパソコンソフトなどのマニュアルをビデオで作るという、当時としてはあまりに先進的(今になってはあたりまえですけど)でおばか(だって、そんなことやってる人、ほかにいなかった)な企画をやっていた宮田さんと一緒にお仕事をさせていただく機会があり、そのとき引き合わされた故
藤森洋志さんとのご縁で、私はソニーを辞めてロータスに転職することになります。いわば、宮田さんは私の「キャリアパス」を決定付けるきっかけをこしらえてくれた大恩人です。
私がロータスに移った後、宮田さんはソニーコンピュータエンターテインメントに移籍されて、PlayStationの数多くのゲームタイトルを世の中に送り出しました(SCEIに移られてからも、私が手がけたばかりの、まだ海のものとも山のものとも知れない「グループウェア」ソフトを即決で「あ、これおもしろい。買う。」とご導入いただいた上にあちこちでテスティモニアル広告に出ていただくなど、とにかくお世話になりました)。
その後マイクロソフトでXBoxのゲームタイトルの制作部隊の立ち上げを手がけられました。
で、宮田さん、今度はまたさらに刺激的なお仕事に着手することを考えられているそうで、そのお話を聞かせていただきました。
その内容は、あまりに面白いのでまだ公にはできませんけど(へへへ)、なにかすごいことになるかもしれないという予感がします。とても楽しみです。
食事の後、宮田さんはサルサを踊りに六本木の街へ消えていきました。
たむらさんのコメント:
1年も後の遠隔コメントになりますが…。
私は、宮田さんがエピックにいらした当時、件のパソコン学習ビデオの監修者の1人だった者です。
もっとも、私にお話をいただいたタイトルは言語モノ(VB)でビデオ化が難しかったのと、藤森さんとの仕事が片付かなかったことも重なり、結局作品にはできなかったんですけどね。
以来、宮田さんとちゃんと仕事したいものだと思い続けて早10年あまり。
藤森さんの葬儀にも私は当然出席しましたが、宮田さんにはお会いできず。
今般、話したいことができたので、どうされてるんだろうと検索してみたところ、ここにヒットした次第です。
不躾かとも思いますが、消息をご存知でしたら教えていただけるとありがたいです。