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今年も、「昔の修理再生業」検索祭りのシーズンがやってきました。
日本中の子供たちが「昔の修理再生業について調べなさい」という指示に従って、なにも考えずにそのままのキーワードを検索し、たまたまヒットするこのサイトのページ(ここ2〜3年では
このあたり)にたどり着いて「答えを教えろ」と騒ぎ始める季節。
以前にも書きましたが、相も変わらず、ろくにネットのリテラシーも身につけさせられていない子供たちに、だまって検索エンジンを与えて検索させて、ネットの教育をしたつもりになっている先生方がまだまだいらっしゃるようです。嘆かわしいことです。
と、思っていたら、最近読み直している西垣通の《
ウェブ社会をどう生きるか》(岩波新書)に、この問題と通底することが書いてありました。
その中の「まとめ」より抜粋。
コンピュータが人間のように思考したり言葉を理解したりすることは難しいとしても、メディアのはたらきを助け、人間の思考や交流の「場」を準備することはできる。これを「教え込み型教育」から「しみ込み型教育」への転換と位置づけることもできる。つまり、既成の明示的な知識を「検索・注入」するのではなく、「場」のなかで暗黙知の体得をうながすのである。集合知とはそういうものだ。
先生方、明示的な知識を「検索・注入」するんじゃなくて、ネットという「場」で暗黙知を体得するすべを教える教育をお願いします。
ところで、この本で西垣先生は、情報とは小包のような物質的実体として人間に『入力』されるものではなく、生物である人間が主体的に周囲環境と関係することで人間の中に出現するものだというお立場から、機械的に収集した客観的なビットの集まりからは『集合知』は生まれないとして、「Web 2.0的」なるものを無批判に信奉する危険性を、先生のご専門の情報学の観点から論じています。
生命情報や社会情報と機械情報を混同して機械的な情報処理を手放しで信頼することや、「ウェブ礼賛論者」の米国(≒アングロサクソン、米語、ユダヤ=キリスト教)追従の価値観の危うさについて、かなり批判的な論調で書いてあって、「ウェブ厨」のみなさんにはちょっと刺激が強すぎるかもしれないけど、社会人としてネットの上での活動を生業にしている人は、一度読んどくといいと思いますよ。
U猫さんのコメント:
NHKさんが以前放送した、「電子立国」をデータベース化し、学校教材用に提供するということでした。
東大の先生は、「近代史は書籍になっていないことが多いので、大変参考になる」と仰った後で、こう付け加えられました。
「最近の学生は、図書館に調べ物に行っても、目的のものを見つけることができず戻ってくるというケースが結構多いのです。コンピュータで検索して調べることができると、どんな学生も答えを見つけ出すことができます」
ひぐちさんの記事を読んで、この時のことを思い出しました。