The means justifies the ends
伊藤忠の社長さんが雑誌プレジデントのWebサイトに書いた“「イクメン、弁当男子」は、なぜ出世できないか”という記事が削除されてしまいました。
ネット上のあちこちで叩かれてお祭りになっていたので読んだ人も多いと思いますが、要約するとこんなことが書いてありました。
いかにも団塊世代の方々がおっしゃりそうな、今の若者に対する、身も蓋もない、何のオチもない愚痴でした。
団塊と団塊ジュニアの狭間、元祖新人類のハシリである50歳のオヤジとしては、この社長さんの言うことも理解できます。居酒屋でオヤジ同士でくだをまくのならともかくも、公人としてテキストにしてメディアに掲載するというのは少々正直者すぎるとは思うけれど。
むしろ、僕がこれを読んだときに気になったのは、「グローバル」と口になさる、世界をまたにかけて働く商社の社長が、“Policital Correctness” を気にしていらっしゃらない、ということ。そして、記事がいつの間にか消されて驚いたのは、天下の大企業のリーダーが “Accountability” を示そうとなさらないということです。
20世紀の終わりごろにアメリカの会社の子会社で管理職をやっていたころ、本国の上司や同僚と “politically correct” であることについて、よく話しました。“Politically correct” とは、直訳すれば「政治的に正しい」こと。真っ当な「国際的」社会人は「政治的」に問題がありそうなこと、たとえば性差別だとか人種差別につながりそうな言論や行動を慎むべきである、という信念を貫くことが「政治的に正しい」とされ、「政治的に正しくない (politically incorrect な)」言動をする人はマネージャー失格であるとされていました。
もちろん、実際には性差別や人種差別の意識があるからこそ、それを理性でコントロールしているということを示すために、ことさらに自分が「政治的に正しい」ということを強調するわけで、この言葉はときには皮肉混じりに使われることもあるけれども、ともかく、世間に対して性差別や人種差別を匂わせるようなことを口にするのは、それだけでまともな企業人として扱ってもらえないものでした。
今日の「グローバルな」(「アメリカ中心の」と読み替えてもいいですが)組織のマネージャーたる者、仕事の上で男女に能力差があるとか、男向け女向けの仕事がある、なんていうことは、(仮に思っていても)口が裂けても言っちゃいけないものであるとされていて、グローバルの本家アメリカでは軍隊だって男女に仕事内容の区別をしちゃいけないというぐらいの勢いなわけであります。
そんな「グローバルな」社会を相手にする会社の社長さんが、公人として
男性、女性による向き不向きは あるのだから、とりあえず男も女も一緒に扱わなければならないと、ただ機械的に仕事をふり分けてしまうのはいかがなものかと思う
なんてことを文章にして残すのは、ナイーブだった気がします。
で、これがネットの一部で炎上したと思っていたら、いつの間にか記事が消されていました。
編集部のオトナな判断か、それとも伊藤忠の広報があわてて処置をしたのか、あるいは社長自らの意志かはわかりません。しかし、ひとたび公人として、会社の名前入りで写真付きで公表した主義主張を、騒ぎが起こったからこっそり消してしまうというのは、今度は “Accountability” が低い気がします。
“Accountability” も、グローバルな企業で管理職や経営者に求められる資質のひとつ。日本語では「説明責任」と訳されているので、「不祥事が起こったときに、当事者が顛末を説明する責任」みたいな、ジョージ・ワシントンの桜の木の話のような意味に勘違いされているフシがありますが、本来の意味は “accountable” であること、つまり(もっぱら会計的に)行動の理由と収支を、誰にでも説明できるよう、公明正大で透明な状態にしておく責任というような意味。
Merriam Webster によれば、
: the quality or state of being accountable; especially : an obligation or willingness to accept responsibility or to account for one's actions
すなわち、自分が取った行動(とその結果)について、自分の意志で、説明をしたり責任を取れる、という状態を保っておくこと。
このケースの場合、こっそり記事を消して無かったことにするのではなく、自分の言動について、非難を受け、自ら進んで説明をすると “accountable” であると認められる、と思います。
いやはや。グローバルな企業のリーダーって、たいへんだ。記事が日本語だけで、世界に知られなかったのが不幸中の幸いだったかもしれません。
つか、広報、仕事しろ。