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昔から本の虫ということは全然ないのですが、それにしても新聞や雑誌をあまり読まなくなりました。雑誌で定期購読しているのは
Wired、
Nature、それから
選択の3誌だけ。新聞は朝日新聞のみです。
朝日を取っていると、いろんな方から突っ込みが入ります。「えー、まだ新聞なんか取ってるの?(某正統派ドットコムメディア人)」とか「朝日、読むところないでしょ(某ベテラン広報人)」とか、「そんなサヨクなのはやめときなさい(某大御所Webデザイナーさん)」とか。
朝日に特に思い入れがあるわけではなくて、日和見と惰性の結果にすぎないのですが、もしなにか朝日新聞を取っている積極的な理由があるとすれば、それは丸谷才一とアーサー・ビナード両氏のエッセイかもしれません。
丸谷才一の『袖のボタン』というエッセイが、毎月1回、最初の火曜日の朝刊に掲載されるのですが、博覧強記の丸谷ワールドが2000字ほどの小さいコラムに濃密に詰め込まれていて、朝の通勤電車の中でちょっとだけ知的レベルが上がった気にさせてくれます。たぶん新聞社側の都合でそうなっているのでしょうが異例の新かな遣いで、和田誠のとぼけたタッチのタイトルとあいまって、いつもよりさらに軽妙に感じさせるのも朝刊向き。
例えば、去年のいつだったか載った『赤塚不二夫論』。
丸谷先生、
この漫画家の名前はちらちら耳にしていたが、何となく手に取らずにいた
のですが、唯一買った漫画の本が、かの『
赤塚不二夫1000ページ
』(オリジナルの『話の特集』版は絶版、復刻版の扶桑社版も版元品切れ)。買った理由は広告に「和田誠責任編集」と謳っていたから。作品のおもしろさはもちろん、これなら
選択がいいから駄作に時間をかけずにすむ(王朝和歌を私家集でではなく『定家八代抄
』で読むようなもの)
と大満足。和田さん、定家になっちゃった。
NHKの集金人である父の、集金の助けのために色紙にニャロメやバカボンのパパやウナギイヌやホンカンさんを描きつづけた赤塚のエピソードと、当時のNHKの受信料問題の騒ぎから
カッシーラーの『ジャン=ジャック・ルソー問題
』を真似た言葉づかいで、つまりわれわれにはあの漫画家のことがわかっていたかどうか
という「赤塚不二夫問題」を提起。赤塚の漫画の世界は、律儀な家に育った、あまりにも律儀な赤塚が見た不埒な夢を描いたものである、と言います。
さらに、『1000ページ』以後、赤塚が衰えてしまった理由について、この赤塚不二夫問題に思い当たるまでは、伊丹十三が『1000ページ』の中で言っているのと同様、実際の日本の社会が赤塚の描いたとおりのハチャメチャな世界になってしまったので描きにくくなってしまったのだ、と取っていたが実はそうではなく
現実世界のほうには、彼の夢想が持っていた風流と愛嬌、逆転によるカーニヴァル的詩情が、当然のことながらまったくない
ので
なまじほんのすこし似ていて、しかし決定的に違う自作のコピーを突きつけられ、彼は辟易したのではないか
と結論付けます。
ウナギイヌからここまで話がふくらむとは、病床の赤塚先生だって夢にも思わなかったのではなかろうか。
この赤塚不二夫への惜しみないオマージュは、彼が脳内出血で倒れて意識不明のまま眠りつづけていることの意味の解読で締めくくられています。
現実に対して否と行動のカタチで言う手段はまずテロである。次に自殺である。某作家は偽装テロないし偽装クーデターと自殺とを組合せて人騒がせに成功した。優雅でしゃれている赤塚不二夫は昏々と眠りつづけることで、この乱雑でしかも愛嬌のない現代日本に対して否と言う。眠れ赤塚。自分の世界を守ろうとすれば眼をつむるしかない。
いやはや。朝日新聞はやめられません。
なりやまさんのコメント:
その前に「1000ページ」が先かな?