[PR] 本ブログの商品紹介リンクには広告が含まれています
柴野さん(
会社その2の社員さん。だんなさんは
東京中低域員)に教わった
ビックリハウス大パーティというイベントに行ってきました。
ご存じない方も多いかもしれませんが、ビックリハウスは70年代半ばから80年代半ばにかけてパルコ出版から出ていた月刊誌です。月刊宝島と並んで当時を代表するサブカルチャー雑誌で、読者をクリエーターとして参加させるコミュニティ的な企画の中から、今をときめく数々のコピーライター、イラストレーター、アーティスト、文化人(笑)などの人材を排出、ちがう、輩出しました。宝島が形を変えながら今まで続いているのと対照的に、ビックリハウスは役目が終わるとさっさと廃刊してしまいました。(興味がある人は
ググってみてください)
今、その発刊30周年を記念する一連のイベントが行われています。昔をなつかしむ中年の同窓会みたいなもんです。
私は
ムーンライダーズのライブを目当てに行ったようなものなのですが、ムーンライダーズのほかにも、あがた森魚、新生パール兄弟、山口小夜子などのライブと、たくさんのゲストのおしゃべりが満載で楽しいイベントでした。
メンバー全員が50歳を超えたライダーズのバンドっぽい(あ、バンドか)ステージはもちろん満喫したのですが、ゲストの中でずば抜けてすごかったのは内田春菊のステージ衣装でも浅葉克巳の三本締めでもなく、パルコの生みの親である増田通二さんのオープニングの挨拶でした。
ダブルのスーツを着て、どこからみても立派な老紳士の増田さんの挨拶はこんな感じで始まりました。
「えー……景気ってぇのァ(ちょっと間)
好いときと悪いときがあって。」
あたしゃ、一瞬、志ん生師匠が降臨したのかと思いましたね。ものすごいアウラというか「ふら」が発散されている増田さんのスピーチに、会場の後ろのほうでべちゃべちゃしゃべっていた人たちも黙って聞き入っていました。なるほど、こういう人が率いていたから、遊びを「文化」と言い切って商売にする
会社が成功したんだな、と往時のパルコを思い出しながら勝手に納得していました。
写真を撮る人たち
イベントが終わって、東急東横線から乗り換えて帰ろうと渋谷駅に行くと、横浜~桜木町区間の廃止に伴ってこれが最後になる急行桜木町行きがちょうど発車するところでした。なにか感慨があるかと思って期待して乗って帰りましたがが、さっきの大パーティとは違って、こちらは特になにも感じませんでした。