The means justifies the ends
最近Facebookでこんなの見かけませんでしたか?
「ハーバード大学図書館、朝4時の風景」という写真と図書館に掲示されている20の教訓の話。
あるいは、土の中に埋もれた人を掘り出す救助隊の写真と「東北大震災で自らを犠牲にしてわが子を守ったある母の本当のお話」。
いずれも、もっともらしいデマに、感動要素をベタベタまぶして、「これは実話だ」と主張しながら、それらしい写真を添えてばらまいているのがミソ。
その感動「実話」を読んで感動した人が、友達にも教えて上げようと「シェア」して燎原の火のように広がるという特徴があります。
そして、そのうち実話ではないデマであることを指摘する人も現れるのだけど、必ず「事実ではないという話もありますが、いい話であることには変わりないのでシェアします」というエクスキューズをつけてさらにばらまく人が続く、というのもおきまりのパターン。
その「デマであろうと、いい話だからシェアする。おまえらも感動しろ」派のみなさんにぜひお勧めしたいのが、今月号の文藝春秋に載っている「日本の自殺」という論文です。
この論文、1975年に文藝春秋に掲載されたものの再掲。最初に掲載された当時も相当話題になって、土光敏夫さんが抜き刷りを作って財界人に配って読ませたりしたらしいのですが、当時は福岡の幼い中学生だったので知らない。
ところが、これが最近、文藝春秋の宿敵である朝日新聞の主筆のコラムでも取り上げられたりして、あちこちで注目されているので、異例の再掲になったらしいです。
「日本の自殺」というタイトルから、「国内の自殺率が増えてるとか、そんな話かな」と思ったら大間違い。
豊かな時代を過ごしているうちに、国民の思考力や判断力が衰弱して衆愚化し(「パンとサーカス」ね)、最後には文明が滅びてしまった過去の多くの例から、日本という文明も自ら滅びる道を進んでいるということを警告した論文なんですが、この中で「予言」されている内容が、まさに今の日本の状況そのものに見えるのがポイント。読んでいて、かなりぞくぞくします。
この論文の中で、人々が衆愚になっていく大きな原因の一つとして指摘されているのが「情報の洪水」あるいは「情報汚染」。
マス・メディアを通じて膨大な情報が垂れ流されることで、直接経験によらない間接経験の情報の比率が増え、情報に対する判断や批判が行われなくなり、浅薄な好奇心をあおりやすい一時性の情報ばかりを簡単に消費するようになり、やがて情報を無批判に受け容れるようになる、というプロセス。
論文が書かれた当初はテレビによる情報垂れ流しを危惧していたのだろうけど、今だとネットがまさにこれ。
ネットの出現でメディアが双方向化して、個人個人が情報発信をできるようになったことで、本当は情報の受信と発信の繰り返しを通じて思考能力や創造性が鍛えられるはずだったんだけど、Facebookの「いいね」や「シェア」は、誰かが提供する知識、意見、価値観、イデオロギーを、そのまま右から左に流すだけだから、主体的な思考はまったく必要なし。
チープな「感動」で、感情の赴くままに「シェア」して、衆愚自身が無自覚にデマを広げるメディアの一部になっちゃって、自己増殖してるから始末に負えないと思う。
Facebookの「シェア」やTwitterのRTで多くの人に情報をばらまく能力を「メディアリテラシー」だと思っている人は、よく考え直すように。
とりあえず "This is a true story..." で始まるFacebookの記事は、"Dear friend" で始まる電子メールぐらいに怪しいもんだと思ってかかっておいてよろしいんじゃないでしょうか。
ところで、今月号の文藝春秋は全力で「買い推奨」です。
「日本の自殺」だけでも十分もとを取った気分だけど、そのほかにも大型企画「テレビの伝説」の中の樋口毅宏(小説家。「さらば雑司ヶ谷」のひと)の入魂のタモリ論がいい。
タモリはたけしやダウンタウン松本と違って「一見その強さやすごさが伝わりにくい、まるで武道の達人のようです」。たしかに。
それから「初公開 金正男の衝撃メール」とか「天皇陵に秘められた古代史の謎」とか。
あ、そうそう。芥川賞受賞した2作品も載ってます。
ootaharaさんのコメント: