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樋口 理・略歴

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樋口 理(ひぐち おさむ)

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マーケッター/ITエバンジェリスト/ネットビジネス起業家/アテンション・エコノミスト
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職務経歴

1962(昭和37)年10月
~1985(昭和60)年3月
昭和37年10月28日 大分県生まれ
福岡県立修猷館高等学校 九州大学工学部電子工学科卒業
大学在学中より、NECのパーソナルコンピュータ向けのゲーム、ユーティリティなどのソフトウェアの開発を行い、システムソフトから商品化。また、PCの技術解説書(共著)をアスキーより出版、ソフトバンクのパソコン雑誌Oh! PCにプログラミング入門記事を連載。
1985(昭和60)年4月
~1990(平成2)年9月
ソニー株式会社
パーソナルコンピュータ(MSX)のハードウェアとソフトウェアの設計、ワープロ専用機、PC などの商品企画を担当。
1990(平成2)年9月
~1998(平成10)年9月
ロータス株式会社(現 IBM)
ビジネスソフトウェアの日本市場導入のための製品企画とプロダクトマーケティングの責任者。
ジャストシステムとの共同開発によるPC-9801用統合ソフト『ハーモニー』を手始めに『フリーランス (Freelance)』、『アミプロ (Ami Pro)』、『アプローチ (Lotus Approach)』、『Lotus 1-2-3/Macintosh』などのプロダクトマネジメントと日本市場への導入を担当。
『ロータスノーツ(Lotus Notes)』の立ち上げで、日本におけるグループウェア市場の開拓に貢献。
『ノーツ』のアーキテクチャーを使ったWebサーバー『ドミノ (Domino)』を使い、日本初の大規模インターネットレコードショップ『@TOWER.JP』の構築を指揮。
1998(平成10)年9月
~1999(平成11)年5月
株式会社デジタルガレージ
『インフォシーク (Infoseek)』の立ち上げに参画。ポータルサイトのサービスと事業の企画の責任者。
1999(平成11)年6月
~2000(平成12)年3月
株式会社インフォシーク(現 楽天)
インフォシーク事業の本格的始動のために新設した同社に移籍。
PC用のインフォシークに加え、携帯電話用サービスにも着手。
当時、米インフォシークの親会社であったディズニーのi-modeサイト『i-Disney』の企画と開発を指揮。
2000(平成12)年4月
~2005(平成17)年3月
株式会社アットマーク・アイティ(現 アイティメディア株式会社)取締役事業開発担当
創設メンバーとして、IT技術者向けのオンラインメディア『@IT』を運営する同社の設立に参画。事業開発とサービス運用全般を指揮。
2000(平成12)年8月
~現在
ジャパン・スタートアップス株式会社取締役(現任)
創設メンバーとして、ITベンチャーの起業を支援するマーケティングコンサルティング会社の同社の設立に参画。
2005(平成17)年2月
~2006(平成18)年6月
フェニックス・キャピタル株式会社顧問
企業再生ファンドである同社の顧問として、経営再建にかかわるコンサルティングに従事。
2005(平成17)年3月
~2006(平成18)年3月
アイティメディア株式会社執行役員
株式会社アットマーク・アイティとソフトバンク・アイティメディア株式会社の合併に伴い、存続会社であるアイティメディア株式会社に移籍。経営企画などを担当。
2005(平成17)年6月
~2006(平成18)年6月
ティアック株式会社社外取締役
フェニックス・キャピタルの投資先である同社の社外取締役に就任。
2006(平成18)年4月
~2007(平成19)年5月
アイティメディア株式会社顧問
同社執行役員を退任し、顧問に就任。
2006(平成18)年4月
~現在
シックス・アパート株式会社顧問(現任)
メディア事業担当
2006(平成18)年5月
~現在
アーキタイプ株式会社取締役(現任)
Webのエマージングビジネスに対するインキュベーションと既存企業のWeb事業に関するコンサルティングを行うファームの創設にパートナーとして参画。
2006(平成18)年6月
~現在
インフォテリア株式会社社外取締役(現任)
2006(平成18)年6月
~2007(平成19)年6月
ティアック株式会社常務取締役
フェニックス・キャピタルとの関係を解消し、独立の立場で再建途上にあるティアックの事業戦略とコーポレートコミュニケーションを担当。
2007(平成19)年6月
~現在
アイティメディア株式会社監査役(現任)
2007(平成19)年6月
~現在
ティアック株式会社顧問(現任)
常務取締役を退任し顧問に就任。
2007(平成19)年7月
~現在
アーキタイプ・コミュニケーションズ株式会社 代表取締役社長(現任)
アーキタイプ株式会社の関係会社として、ITおよびインターネット企業に対する企業広報機能の立ち上げと運用を支援する同社を設立。
2008(平成20)年1月
~現在
株式会社グルコース取締役(現任)

経歴のご説明

1962(昭和37)年10月28日、Bill Gatesの7歳の誕生日に大分市に生まれ、気象台に勤める父親の転勤のために、大分市、日田市、福岡市を転々とする。
子供のころから時計、ラジオなどを分解して元に戻さないため破壊主義者呼ばわりされるが、そのうち壊すほうから作るほうに興味が移り、電子工作や模型工作に手を出す。
1978(昭和53)年、福岡県立修猷館高校に入学。アマチュア無線に熱中し、大出力送信機の製作に明け暮れる。
1981年(昭和56)年、九州大学工学部電子工学部に入学。
アマチュア無線をやっているサークルに入部するが、そこにおいてあったPC-8001でマイクロコンピュータの道へ。
サークルに機材を提供してくれていた創成期のシステムソフトに入り浸り、マイコン教室の講師やソフト制作のアルバイトに精を出す。
「ロードランナー」や「野豚の異常な食欲:または私はいかにして心配するのをやめて、蛸を愛するようになったか」といったゲームソフトのサウンドデザインやキャラクターデザイン、NECのパソコン新製品のためのデモプログラム制作など、ソフトのプロデュースの真似事に専念。PC-8801シリーズ新製品の添付デモソフトにムーンライダーズの楽曲を使うが、だれからも感心されずにへこむ。
アスキーから共著で「PC Techknow 6001」という技術解説書を出したり、創刊間もないソフトバンクの雑誌「Oh! PC」にBASIC入門の連載記事の仕事をもらう。締め切りぎりぎりまで何もしないクセがあり、3ヶ月に1度ぐらい連載に穴を開けそうになって(あるいはときどき穴を開け)編集担当の橋本さん(故人)を困らせる。
電子工学を学んだつもりが気がついたらZ80のアセンブラばかりに詳しくなってしまったので、Z80を使ったパソコンを作っているメーカーの中でも特にヘンなことをやっていたソニーを就職先に選ぶ。
1985(昭和60)年ソニーに入社、MIPS事業本部MCOA事業部配属にもぐりこむ。
電子工学科出身なので有無を言わさずMSXハードウェアの設計部隊に配属されるがハードウェア設計以外のことにいろいろ口を出し、疎んじられる。
自分で企画したワープロ専用機のために、勝手にサザビーとのコラボレーションのキャリイングバッグを商品化しデザインセンターからにらまれる。
1989(平成元)年ごろ、職場の黄色いイーサネットケーブルとJUNET(Net News)に出会い、ネットワークを使ったコラボレーションの将来性に開眼。NNTPとMacのFile Makerを使って、お客様ご相談センターの問い合わせ履歴ナレッジベースを構築しようとするが挫折。目標を下げて、職場のランチの仕出し弁当の注文のネット集計+FAX発注ワークフローに着手するが頓挫。ネットワーク経由の情報共有とワークフロー構築プラットフォームの必要性を痛感しているところで当時開発中のロータス ノーツ(Lotus Notes)のことを知る。たまたまそこに、ロータス社の依頼を受けたヘッドハンターから連絡をもらい、天の啓示と確信し転職。
1990(平成2)年、ロータスに入社したとたん、Microsoft Worksの邪魔をするために誰かが思いついたロータスとジャストシステムの共同プロジェクトによる(不)統合ソフト「ハーモニー」の企画をゼロから立ち上げるはめになり、天の啓示は間違いだったことに気づく。
その後、Windows用の新製品ラッシュのため、「フリーランス」、「アミプロ」、「アプローチ」と、Lotus 1-2-3以外の製品のあらゆる製品の立ち上げを担当。調子に乗って「1-2-3 for Macintosh」を立ち上げた途端に米国本社でMac用商品の開発中止が決まり「表計算ソフトは二度とやらない」と心に誓う。
1993(平成5)年、「ロータス ノーツ」を日本でも商品化することになり、すべての担当製品の担当を外れてノーツの立ち上げに没頭。初のイベント「ディスカバー・ノーツ」で本格デビュー。低予算のためイベントは手作りで、この年の誕生日の夜は、電通の近所の古いビルの一室においたイベント事務局で準備作業をしながら14インチテレビでドーハの悲劇を見て淋しくすごす。手作りイベント・セミナーを大量にこなしたためプレゼンテーションスライドの量産が得意技になる。「ハーモニー」の借りを返すべく競合製品の「Microsoft Exchange」叩きにのめりこむ。ロータス米国本社がIBMに買収されたため社内にも徐々にIBMの影響が強まるが、IBMの方針にことごとく反発し、ノーツ新バージョンの製品企画に左遷される。
1997(平成9)年、閑職の暇にまかせ、ノーツをWebアプリ化するエンジン「ドミノ」の実証実験と称してタワーレコードのレコードショッピングサイト「@TOWER.JP」を作る。これを一緒に進めた伊藤穰一氏と意気投合してしまい、うっかりインターネット業界に転向、デジタルガレージに移る。 (続く)

about/bio.1220868396.txt.gz · 最終更新: 2008/09/08 19:06 by osamu
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