宮下公園
宮下公園

ゆうべ、たまたまJoiのBlogイラクへの攻撃に反対するパレード(デモ行進ってやつですね)のことを知って、参加してきました。
デモ行進なんていうガラじゃないんですが、ゆうべから人に会ったり話したりするのがおっくうでいやだという不思議な心理状態(「鬱」ってやつでしょうか)になっていて、これに参加すると何かが好転しそうな気がしたのです。


無論、イラク(フセイン)が正義だと思っているわけじゃないですが「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!(© スネークマンショー)」なのは本音ですし、「何が何でも一方的に攻撃するんだもんね」という今のアメリカの状況はあまりにワガママだと思ってはいました。でも、まさか自分がデモに参加するなんてことになるとは昨日までは1ビットも思ったことがなかったわけで、自分でもちょっとびっくりです。
今日はIT業界紀尾井町派の人たちの寄り合いパーティ「和みの会」で赤坂のセレブールにも呼ばれていて、前述の通り「鬱」なので欠席しようと思っていたのですが、デモに行くことに決めたらなんだか少し気が軽くなって、パーティにも20分ほど顔を出しました。パーティではZDの浅井さんに「え?なに?デモ行くの?共産党系?旧社会党系?」などと聞かれたのですが「んー。よくわからない。Joi系っつーかBlog系っつーか。」とわけのわからない答えをしておきました。
で、宮下公園に行ってみると、本当にわけのわからない集団でした。革マルの人がビラを撒いている(革マルのビラにURLが書いてあるのがなんだか新鮮でした)し、パレスチナの旗を振っている日本人はいるし、法華の太鼓はドンツクなってるし、1斗缶をドラムにしてる奴はいるし、ラッパーもいるし、労組の旗を持ったまじめそうな人はいるし、正体不明の黒い雨傘集団はいるし、Bloggerはいるし(笑)……と、とにかく右から左まで(右はいないか……)上から下までいろんな人が集まっているのです。

Blogのネタ撮りに忙しいJoiBlogのネタ撮りに忙しいJoi

イラクに対する立場やアメリカに対する立場はそれぞれ違うに違いない人たちが、とにかく「戦争はやめとこうよ」という唯一の共通のメッセージの下に集まって、土曜日の夜の渋谷をデモしているというのは、なんとも不思議な体験でした。55年体制下のデモだと、浅井さんの言うとおりデモの目的以前にデモの主体がどういうイデオロギーであるかが大事にされていたわけですが、いまどきのデモは実にプラグマティックです。こういうのを「野合」って言うんでしたっけ?
丸の内あたりではいまだに「55年体制的デモ」がお昼時に行われることがあって、歩道からは公安の人だか会社の人事の人だか知らないですが、デモ隊の一人一人を写真に撮影しているという陰湿な感じの対立構造があるんですが、土曜日の夜の渋谷のデモは、デモを見る側もやる側も「土曜の夜はパラダイス」で「パレードが行くよ」ってなもんで、実に明るく、不思議な体験でございました。
気が付いたら「鬱」が消えていました。

投稿者 樋口 理

「戦争に反対してみる [渋谷一周ピースパレード]」に5件のコメントがあります
  1. 朝日新聞などの報道によると、渋谷のパレードの参加者は5000人(主催者発表)だったそうです。ロンドンが50万人、ニューヨークが30万人でしたっけか。
    負けた……(笑)

  2. 職場の2ちゃんねら某氏(特に名を秘すけど、編集局長)から「デモに2ちゃんねらはいなかったのか」と質問されました。
    そういえば、たくさんいてもよさそうなものですが、モナーのプラカードは見なかったような気がします。
    私が気がつかなかっただけかもしれません。

  3. 職場の2ちゃんねら呼ばわりされている某です。わはは。こんにちは。
    こういうデモのなかにモナーとかギコネコのプラカードがでてたら、マターリですよね、きっと。2ちゃんねらの社会的評価もあがるのではないか、と夢見てます。そういうのがテレビとかで流れたらまさに祭りですね。

  4. 残念ながら、戦争が始まってすでに5日ほど経ちました。今となっては、この戦争が早く終結して、イラクのフツーの市民の犠牲が少なく済むことを祈り、行動するのみです。
    さて、この書き込みについて、数人の方から個人的によく似たコメントをいただきました。私からすると本意でない「間違ったメッセージ」を受け取られてしまったようです。
    その方たちにはちゃんと個人的にお返事、ご説明してご納得いただけましたが、なにかのはずみでこれを読んでいるサイレントマジョリティの皆さんの中にも同じような感想をお持ちの方がいらっしゃるに違いないと思いますので、ちょっと補足を。分かりやすいようにポイントをQ&A形式にしてみました。
    Q: 反戦運動をなにかの祭りと勘違いしているのではないか?
    A: そのようにとられてしまったのは残念です。また、そのように読めるような表現になっているとすれば、それはひとえに私の表現力の稚拙さによるものですが、私自身は決して「お祭り騒ぎ」とか「楽しいイベント」としてデモに参加したわけでは決してありません。きわめてまじめに戦争に反対し、その意思表示のための示威行動として参加いたしました。
    Q: では、キミはこれでいったい何が言いたいのか?
    A: 「主題」というほどのものではありませんが、ここに書きたかったのは「いまどきのデモのありかたが、『昔』と比べると変わっているのだな」という純粋な「気づき」です。
    私だけかもしれませんが、およそデモ行進というのは自分が所属する特定の政治団体や思想団体の強い「統率」の下に行われ、見る側もそういうものだと思って見ているものだ、という認識をしていました(今も明確にそういうスタイルのデモが行われているのは上述の通り)。
    ところが、今回のデモはそれが「思ったほど」ではなく、雑多な主義主張の団体に属する人が混在し、また土曜の夜の渋谷という特殊な環境のせいかもしれませんが、見る側も私がイメージしていた「デモ隊を見る眼」では見ていないというのが純粋に驚きだった。そういうことです。
    もちろん、「今回のデモがまったく誰からも『コントロール」』されているものではなく政治的にまったく無色透明で純粋だった」などというナイーブなことを言っているわけではありませんよ。誤解のないように。
    Q: デモなんかやっても無駄なのではないか?自己満足にすぎないのでは?
    A: 戦争という高度に政治的な行為を抑止するには、デモというのは確かにあまりに小さな示威行為です。また、結果的には戦争を止めることなどできませんでした。それでも、自国の(あるいは他国の)政治的な行為を行う人たちに戦争に反対する「世論」を表明することは決して無意味ではないと考えます。少なくとも、人知れず祈りを捧げているのよりは、影響力を持っていると考えます。世論は、時として政治に対して十分な影響を発揮することがあると思っています。これはナイーブだと言われても仕方ないかもしれません。
    また、自己満足ではないかと言われると、そういう面はたしかにあることは正直に認めます。自己満足と他を思う気持が論理的・倫理的に矛盾しなければそれはそれでよいのではないかと考えます。私はそういう人です。

  5. まるでお祭り 他人の不幸をネタにお祭り騒ぎをするのは良くないです。 本日渋谷で一般車の通行を妨げ渋滞を起こしてるデモ隊を見ました。 音楽を鳴らし、踊りを踊りながら戦争反対。 本当に腹が立ちました。

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