樋口 理・略歴

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樋口 理(ひぐち おさむ)

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マーケッター/ITエバンジェリスト/ネットビジネス起業家/アテンション・エコノミスト

アーキタイプ株式会社の取締役/パートナーとして、IT・ネット領域のスタートアップの起業支援・育成と、あらゆる企業・団体のネット関連事業の開発・促進をお手伝いするかたわら、主に支援先企業の役員や顧問をお引き受けしております。

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略歴

1962(昭和37)年 気象台に勤務する父親の任地であった大分市で生まれる。幼少より機械類の分解と破壊に長け、親が定期購読してくれた「子供の科学」の導きにより、模型飛行機や電子工作に目覚める。
1978(昭和53)年 福岡県立修猷館高等学校に入学。アマチュア無線に没頭し、大出力真空管送信機、低ノイズ受信機、アンテナなどの自作に明け暮れる。また、このころ先輩が置いていってくれた TK-80 に出会う。
1981(昭和56)年 共通一次試験で奇跡的な高得点を得て、九州大学工学部電子工学科に入学。アマチュア無線をやるつもりで入ったサークルに PC-8001 フルセットを貸し出してくれていたシステムソフト福岡(現システムソフト)に入り浸り、主にNEC製8ビットパーソナルコンピュータ向けの市販ソフトやバンドルソフトを開発。雑誌 Oh!PC(日本ソフトバンク=現ソフトバンク)の連載や、単行本 PC Techknow 6000 Vol. 1(アスキー)の共著など執筆。
1985(昭和60)年 当時パーソナルコンピューターを製造していたメーカーの中でも、大学の先輩がいなさそうで好きなことがやれそうな気がした、という不純な動機でソニーに入社。低価格MSX機のハードウェア・ソフトウェア設計、専用ワープロ機 PRODUCE のソフトウェア設計・商品企画などに従事。仕事で使っていた VAX-11 と NEWS と黄色いイーサネットケーブルを通じて黎明期のインターネットに触れる。
1990(平成2)年 ソニー在職中に「PCがネットワークにつながると仕事のやりかたに革命が起こる」と確信。Usenetで知ったグループウェアという概念のことを調べていたところ、表計算ソフト会社のロータス(現IBM)がグループウェアを開発しているという記事にぶちあたる。時を同じくしてヘッドハンターからロータスの日本法人が製品企画の人間を探していると照会を受け、これは天啓と思い転職。
入ってみたらグループウェアなんてまだプロトタイプで、それよりも出来たばかりの Microsoft Windows に対応するアプリケーションのラインナップを作ることが大事と、しばらく Lotus 1-2-3 以外の全製品のプロダクトマネージャーとして過ごす。ジャストシステムとの合作統合ソフト Harmony を手始めに、Lotus Freelance、Ami Pro、Approach、1-2-3/Mac など。
のちに、ようやく売り物になったロータスノーツ (Lotus Notes) の市場導入とグループウェアそのものの市場の開拓に専念。
その頃、インターネットの商用利用が始まり、ノーツのアーキテクチャーを使った Web サーバーであるドミノ(Domino) を使って、タワーレコード(当時)の伏谷博之氏、デジタルガレージ(当時)の伊藤穰一氏と共に、たぶん日本初の本格的インターネットレコード通販サイトとなる@TOWER.JP を開設。
1998(平成10)年 伊藤穰一氏に誘われるままに、検索サイトインフォシーク(Infoseek Japan)の立ち上げに参画するために、デジタルガレージに転職。
1999(平成11)年 インフォシーク事業の本格的始動で株式会社インフォシークが新設され、移籍。ポータルサイトのサービスと事業の企画責任者。
親会社の米 Infoseek がディズニーに買収され、ちょうどそのころスタートしたiモードにご執心だったため、ディズニー初の携帯電話サービス i-Disney の企画と開発を指揮。
2000(平成12)年 Infoseek 在籍中にベータテストが始まった Google のサービスに触れ、検索サイトの勝負はついてしまったと悟る。ちょうどその頃、ロータスを退社するときに後釜に入っていただいた藤村厚夫氏に呼び出され、パソコン雑誌をリプレイスするオンラインメディア事業の構想を聞かされて、乗っかることに。IT技術者向けのオンラインメディア @IT を運営するアットマーク・アイティの設立に参画。
2005(平成17)年 アットマーク・アイティとソフトバンク・アイティメディアが合併。存続会社であるアイティメディアの執行役員として経営企画を担当。
このころ、二足のわらじを履き始め、企業再生ファンドが事業再生のために投資していたティアックの社外取締役にも就任。
2006年(平成18)年 アイティメディアを一旦退社。アイティメディアが東証マザーズに上場。上場後のアイティメディアの監査役に就任。
シックス・アパート顧問、インフォテリア社外取締役などに就任。流しの会社役員生活が始まる。
ティアックの常務取締役に就任。
中嶋淳氏とともに、アーキタイプを設立。取締役/パートナーに就任。

about/bio.txt · 最終更新: 2019/03/01 10:31 by osamu
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