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樋口 理・略歴

これまでのあしあと

やっていたこと
1962年 (昭和37年) 10月28日、Bill Gatesの7歳の誕生日に大分市に生まれる。
気象台に勤める父親の転勤のために、大分市、日田市、福岡市を転々とする。
子供のころから時計、ラジオなどを分解して元に戻さないため破壊主義者呼ばわりされるが、そのうち壊すほうから作るほうに興味が移り、電子工作や模型工作に没頭するようになる。
1978年 (昭和53年) 本番だけは妙に強いというワザを生かして、福岡県立修猷館高校に入学。自由闊達な校風にすぐに感化され、最初の試験で最低な成績をマークし、担任に嘆かれる。
きわめてまじめに毎日登校し、無線部の部室で工作やアマチュア無線に没頭する。
1979年 (昭和54年) アマチュア無線への情熱はますます加熱、第2級アマチュア無線技士の免許を取り、真空管を使った大出力送信機の製作に明け暮れる。理系クラスに進むが数学の成績は最悪で、担任に「あんたの顔を見ていると胃が痛くなる」と嘆かれる。
1981年 (昭和56年) 本番だけは妙に強いというワザを再度生かして、共通一次試験で超好成績をマーク。そのアドバンテージを最大限に生かし、二次試験の配点が少ない九州大学工学部電子工学部に入学。
アマチュア無線をやっているサークルに入部するが、そこにおいてあったPC-8001でマイクロコンピュータの道にのめりこむ。
サークルに機器を提供してくれていたシステムソフトに入り浸り、マイコン教室の講師やソフト制作のアルバイトに没頭する。
1982年 (昭和57年) アルバイトに没頭し学業成績は低迷するが、本人もどうやったのか覚えていないような神風が吹いて留年を免れる。
調子に乗って、ソフト制作のアルバイトに明け暮れる。
バイトに没頭して情報工学の演習の宿題(大学のTSSでPascalを使って行列演算をするプログラムだったと思う)をやるのを忘れ、あわてて自宅のPCでUCSD Pascalを使って提出し、教授にいやみを言われる。
1984年 (昭和59年) アルバイトはますますエスカレートし、ゲームソフトの音付け、キャラクターデザイン、NECのパソコン新製品(PC-6001シリーズ、PC-8801シリーズ)のためのデモプログラム制作など、ソフトのプロデュースの真似事にはまる。アスキーから共著で「PC Techknow 6001」という技術解説書を出したのに味をしめて、創刊間もないソフトバンクの雑誌「Oh! PC」にBASIC入門の連載記事の仕事をもらう。このころから締め切りぎりぎりまで何もしないワザの本領を発揮し、3ヶ月に1度ぐらい連載に穴を開けそうになり、編集担当者をひやひやさせる。
1985年 (昭和60年) 電子工学を学んだつもりが、気がついたらZ80のアセンブラばかりに詳しくなってしまったので、しかたなくZ80を使ったパソコンを作っているメーカーに就職することにする。NECやシャープでは埋没しそうな気がしたので、意表をついてソニーを受け、まんまとSMC-70やMSXをやっているMIPS事業本部MCOA事業部にもぐりこみ、MSXの設計部隊に配属される。事業部長の出井さんや企画課長の平松さんなど、ソニーの中でも自由闊達な人が集まる妙な職場の雰囲気に染まり、物怖じしない新人類呼ばわりされる。
about/bio.1165229575.txt.gz · 最終更新: 2007/07/23 16:50 (外部編集)
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