法事に行ってきました。祖父の三十三回忌です。うちの菩提寺は、福岡県の大分との県境近くの杷木というところにある長念寺という浄土真宗のお寺。
法事そのものはつつがなく終わって、久しぶりに再開した親類と近くの温泉で宴会。
東京に帰ってきて、ある方に「浄土真宗の宗派はどちら?」と聞かれました。
「本願寺派だったと思いますが」と私。
「本願寺もお西さんとお東さんとあるでしょ?」と聞かれ、答えに窮してしまいました。信心が薄いので、即答できまっしぇん。


家に帰って、ちょっと調べてみましたら、この歳になるまでよく知らなかった浄土真宗の宗派のことが少しだけ分かってきましたので、ざくっと書いてみます。
  • 浄土真宗を開いた親鸞は、実は自分の宗派を浄土真宗として分離するつもりはなかったとも考えられている。親鸞は浄土宗の法然に心酔していて、「真の宗教である浄土宗」を伝えることに力を注いだらしい。
  • 浄土真宗(他の宗派からの呼び名は一向宗)が力を持つことを恐れた武将が本願寺を東と西に分けたとされているが、じつはもうちょっと複雑に政治権力とのからみがありそう。ともかく、家康の関与で(西)本願寺から東本願寺が分かれた。お西さんとお東さん。今は、西と東の間に目立ったいさかいはないようだ(後述のとおり、東の中にいさかいがあるので、それどころではなさそう)。
  • 西も東も教義にほとんど差はない(そりゃそうだ)。作法やお経の唱え方には微妙なバリエーションがある。
  • 京都の西本願寺(西本願寺は通称。正しくは本願寺。世界遺産)と東本願寺(あとで出てくるけど、今の本当の名前は真宗本廟)を比べると西は阿弥陀堂(本堂)が右側で御影堂(大師堂)が左側、東はその逆。
  • お西さんとお東さん以外にも、浄土真宗系の宗派は結構細かく分かれている。でも、まあ、このふたつがメインストリーム。
  • 明治維新の廃仏毀釈で大教院に宗教団体として登録させられたとき、(西)本願寺派は浄土真宗として申請したけど、他はそれに倣わず真宗として申請した。お東さんは真宗大谷派。つまり「真宗」じゃなく「浄土真宗」と言えば、(西)本願寺派のことを指していたわけだ、1981年(後述)までは。
  • 60年代の終わりごろから、今もくすぶる「お東さん騒動」が始まる。教団のあり方についての紛争。その結果、大谷家から出た元の真宗大谷派の浅草別院=東京本願寺が1981年に大谷派から独立。このとき、東京都の認証は「真宗」ではなく「浄土真宗」の名前で受けた。
  • もとの京都の東本願寺の真宗大谷派は、(東)本願寺を宗教法人として解散し、閉鎖。お寺の建物も東本願寺とは呼ばず真宗本廟と呼ぶことに。東京本願寺が東本願寺の本山を継承することを宣言。
  • 結局、現在は東本願寺と言うと、史跡としては通称としてその京都の真宗本廟のことを指すけど、宗教法人としては東京本願寺(今は正しくは浄土真宗東本願寺派の本山である東本願寺)のことを指す。ああ、ややこしい。
    ちなみに、築地本願寺は西の本願寺派。
超略解・本願寺
超略解・本願寺ツリー(拡大)
お東さん騒動のところは、門主さんが改革派がいる大谷派との関係を解いたとか、改革派が東本願寺を閉鎖したとか、それぞれの立場にそれぞれの言い分がありそうな(だから紛争になるわけだけど)ことがたくさんあるので、興味がある人は解説書なんかで調べてみてください。お願いだから、ここで論争しないでくださいね。私もまだよくわかってないし。

そんなこんなで、浄土真宗の宗派は、信心とはあまり関係なさそうなところで、いろいろややこしいことになっていたわけでした。知らぬが仏。

ちなみに、うちのお寺の宗派は本願寺派、つまりお西さんでした。

南無阿弥陀仏。

お東さん騒動の本
(まだ読んでないけど
改革派寄りか?)
こっちのほうが気になる
アラーキーが激写した
本願寺(西)